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2013年10月09日

千利休の七高弟の一人の話


戦国時代における主なキリシタン大名といえば、蒲生氏郷・小西行長・黒田孝高・有馬晴信などがあげられます。
その中でも高槻城主の高山右近は秀吉のバテレン追放令、家康のキリシタン国外追放令を経て、
フィリピンのマニラにたどり着きました。

沖縄県名護市の屋我地島にあるペンションいぺーは、

千利休の七高弟の一人の話
↑お庭の一本のパパイヤが本格的な収穫時期に突入しました。(画像が暗い。)

千利休の七高弟の一人の話
↑沖縄のフルーツパパイヤは主にハワイ種が多いですが、うちとこの品種は『フィリピン』です。
詳しくはわかりませんが、苗を買ったとこのおじさんはただただ「フィリピンさぁ~。」とのみおっしゃるので、
うちとこの品種は『フィリピン』です。
フィリピンだからかどうか、味は濃いめでこってり好きの方にはうれしいタイプとなっております。
タイミングしだいで申し訳ありませんが、朝食に出てきたりもします。南無。






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Posted by たかはしあきら at 23:39│Comments(0)ペンション
 
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