2016年12月02日
基本的に各場所の滞在時間は比較的短めですよの話
中国春秋時代、晋の文公は43才から19年におよぶ長く苦しい亡命生活(晋→白狄→衛→斉→曹→宋→鄭→楚→秦→晋)ののちに君主の座に着き、春秋五覇のひとりに数えられる名君となりました。
沖縄県の名護市にあるペンションいぺーで働く私は、そんな文公に近づくべく、先日、4泊5日におよぶ長く苦しい九州北部の旅にでました。
初日は夜の博多に着き、ラーメンを食べ、お宿で一泊。いきなり苦しい展開。
翌朝、レンタカーを借りて一路 太宰府市にある九州国立博物館で鳥獣戯画を見、館内でコーヒーとケーキを食べ、さらに苦しい展開に。
そのあと博物館ちかくにある旅の第一チェックポイント・岩屋城址へ。激しく険しい曲がりくねった山道を、やっとのことでレンタカーで登り、
↑到着しました。岩屋城を守る大友家の武将・高橋紹運とその将兵700名余りが、迫りくる2万の島津軍と激戦をくり広げ、最後は玉砕、落城したという場所です。
↑太宰府駅前の賑やかさにくらべ、静かで見晴らしのグンバツなところでした。
その後、
滝廉太郎の『荒城の月』と天空の城で有名な大分県竹田市にある岡城址へ行くことに。
レンタカーのナビゲーションによると所要時間は3時間半。なかなか遠いけど文公に近づくには避けて通れない試練。
きれいな紅葉をみながらのんびり山道を行くという艱難辛苦の末、岡城址へ到着。
↑携帯の充電が切れ、写真が撮れなかったので、入り口でもらった巻物型案内状で代役。
断崖絶壁に雄大な石垣を巡らせた、天空の城というにふさわしい城跡でした。とにかく景色がグンバツ。
そのあとは福岡県は小倉市へ3時間半かけて帰り、お宿で就寝。
三日目は朝一番、電車(筑肥線から見る車窓はグンバツ。)で佐賀県の唐津へ。
この日も苦しい旅のお供にレンタカー。
行くかどうか迷っていた唐津城。電車から見えた感じがかっこよかったので行くことに。
↑良すぎる天気に唐津城。
↑お城は工事中で入れませんでしたが、山上までの険しい道のりをエレベーターで必死で登り、山頂から海を望む景色はグンバツ。
その後、ペンションのお客さんから「佐賀に行くなら絶対に食べるべし。」と言われていた呼子のイカを食べに一路、北へ。
↑のどかな港のそばにあるお食事屋さんでイカ定食を注文。イカ一杯を、活造りでお刺身からのゲソを天ぷらにで私のお腹はパンパンに。お腹いっぱいおいしくて満足という苦行を乗り越え、
この旅の第二のチェックポイント・名護屋城址へ。
秀吉の唐入りの大本営として築城されたこの城跡を、佐賀県立名護屋城博物館で無料貸し出ししている案内用タブレットを持って、
↑名護屋城址をグルグルグルグル周り、
↑これまた海を望む景色はグンバツ。眼下の半島に島津義弘や上杉景勝、九鬼嘉隆などの名だたる武将が陣をしいたと思うとグッときます。
↑ここでしか買えないよ、ということで陣跡クリアファイルと武将クリアファイルを購入。
その後、一気に南下して、この旅の第三のチェックポイント・徐福長寿館へ。
↑今から2200年前に中国・秦の始皇帝の命により不老不死の薬を探しに来たあの『徐福』のことが盛りだくさんの資料館。
案内してくれはった職員のおじさんがものすごく丁寧に説明してくれはったので大満足。晋の文公も苦しい旅の途中の斉の国で大いに歓待されたいわれてますが、かくのごとくかと思うほどの徐福長寿館でした。
その日は徐福で日が暮れたので、急遽 佐賀で一泊。
四日目は徐福の職員のおじさんに聞いた『徐福と吉野ケ里遺跡は関係がある説』をひっさげ、朝一番で吉野ケ里遺跡へ。
駅からちょいと距離があるので、レンタル自転車でスイスイと困難を乗り越え到着し、
↑おお弥生時代!おお環濠集落!徐福の子孫も関係したのかな男はつらいよで寅さんも来てたな、などと想いにふけてました。
あとは新幹線を使って半生半死で小倉に戻り、
↑長州藩との激戦があった小倉城を電撃訪問し、その日は天ぷらそばを食べて、早めのお宿で一泊。
最終日は天神でジョン・デンバー、ボブ・ディラン、泉谷しげるのレコードを買って、沖縄へ帰りました。
結論を言いますと、苦節19年の晋の文公にまた一歩近づいた苦労ばかりの旅でした。南無。
P.S. 大分県竹田市の岡城址への行き帰りのホンマは相当 焦っていた話は長くなるので、涙を飲んで割愛させていただきました。暇な方は当ペンションで直接お話を聞きに来てください。
Posted by たかはしあきら at 00:48│Comments(0)
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